2003年08月26日

ウィーンでの57th IETFミーティング 

本日、ウィーンのオーストリア・センターで開かれた57th IETFミーティングに行ってきました。昨夜のレセプションでは、参加者はみなUsual Suspectsでした。ヨーロッパ系の参加者が普段より比較的多かったように見えました。一番激しかった討論は、参加者全員が気になっているところだと思いますが、継続的な"終わりから終わりへの原理"の有効性でしょう。この用語の本当に示すところについて、数々の論議が交わされています。私はReed paper を読み、さらにJ. Noel Chiappaのpageにも目を通しました。
今後、参加する全てのミーティングについてブログに書き込むつもりはありませんが、もしディスカッションの中で大きなテーマを持つものがあれば触れていきたいと思います。

Posted by alice at 17:36

2003年08月17日

2003年北米大停電

昨日の午後4時11分、オフィスでコンピューターに向かっていると突然画面が歪み始め、UPSからノイズが聞こえ、そして全てが消え去りました。
そのとき「また防災訓練か。。」と思ったのは、先月予告無しの防災訓練があったからです。今回もまたビルの管理者が抜き打ちテストの様に防災訓練を実施したのかと思い、廊下に出てみるとそこは完全に闇に包まれていました。そこで初めてこれは本当に停電なのだと気づいたのです。
急いでオフィスに戻りコンピューターを(スクリーンは依然真っ暗でしたが)シャット・ダウンしました。この事態によって様々な事故に見舞われた人々、エレベーター内や地下鉄に閉じ込められた人々が居るであろうにも関わらず、その時点で私は自分のコンピューターのUPSや、進行中のプロジェクト、データの心配しか頭にありませんでした。しかし、それから今自分は何をすべきかを考えました。
電話が繋がっていたので、父親に電話してみると、5ブロック先の彼のオフィスはまだ電気が点いているとのこと(後で分かったのですが、彼の働いているビルにはバックアップの自家発電があったそうです)、そこで一瞬、「停電は自分のビルだけか」と思いきや、蓋を開けてみれば北米全てが停電に見舞われているというではありませんか!
私はこれ以上仕事をするのを諦め、20階にあるオフィスから下まで階段を駆け下り、外に出ました。道端に立ち尽く人々と話し、地下鉄が完全にストップしていることを知ったので、Pier11まで行き、アップタウン行きのフェリーに乗ろうと試みました。道路は既に大混雑しており、パトカーがなんとか通り抜けようと必死になっています。Pier11に着くとそこは既に長蛇の列ができていたので、私は早々にフェリーを諦め、アップタウンに向かって歩き始めました。
{1998年に東京電力のマネージャーと交わしたディスカッションが頭を過ぎりました。彼が、東京は大規模な停電に見舞われることは絶対に無い、東京のグリッドは過剰な電力使用にも対応できることを考慮して上手くデザインされているので、突然の大停電など考えられないと言っていたのを思い出し、今はそれを疑問に思います。}
その日の気温は非常に暑く厳しいものでした。私と共に、何千人もの労働者が北に向かって歩いています。私はEast Riverの向かいの34ストリートからフェリーに乗ろうと思っていました。一時間半後、34ストリートに辿り着くとそこは狂気の大混乱でした。何百ヤードにも及ぶ長蛇の列の中ではチケットを巡る殴り合いまで起きていました。警察に何が起こっているのか聞いてみると、警察はフェリーのオペレーターに、フェリーに乗る前に人々にチケットを買わせるのではなく、まず全員を乗せてから中でチケット代を払わせることを申し出たそうです。この言葉に希望を持った私は、一番短い列の最後尾に急いで並びました。そして2回目に回ってきたフェリーに乗り込むことができたのです。最初のボートに乗っていたある女の人が暑さによって倒れ、警察によってドックに運ばれました。私が緑色の顔になっている彼女に水のボトルをあげると、彼女はそれを飲み、少しは気分がよくなっていたようです。
乗り込んだフェリーがドックを離れると、未だターミナルでフェリーを待つ何千人もの人が見えました。誰も彼もが不幸な顔をしていました。
7分たってフェリーがイーストリバーを渡り終え、私は自分の家があるルーズベルト・アイランドに向かって歩き始めました。そして午後8時30分、ようやくマンションに到着したのです。マンハッタンのダウンタウンにあるオフィスから4時間が経過していました。足はへとへとに疲れ、Tevaサンダルはボロボロになっていました。しかし、家に着き、ホッとしたのも束の間、次の瞬間、自分の部屋は19階にあることを思い出しました。。。。(I HATE NYCのウェブサイトに暴言を吐きたくなったくらいです)。
停電と同時に携帯が使用不可能になっていたので、妻と子供がどのような状況にあるか全く分かりませんでした。家の電話は繋がっていたので、家族には何のトラブルもなく、私の妹や両親も無事で居ると、よい知らせを受けることができました。
暗闇の中でしばらくラジオを聞き、ろうそくを灯しました。そしてすぐに妻と子供が帰ってきました。
蒸し暑いベッドルームで深い眠りに着くと、朝6時頃、息子が「太陽が出てるよ!起きる時間だよ!」と起こしにきました。私は、目が覚めるとニューヨークの停電騒ぎも収まり、全て元通りになっているという夢を見ていました。しかし、現実とのあまりの違いにショックを受けました。朝になっても街の大半は停電のまま。我が家が電気を取り戻したのはその日の午後5時頃でした。
コンピューターがつき、光があり、製氷皿に氷があるというのは素晴らしいことです!それらに対し、昨日までは無かった感謝の気持ちを持ったのです。
しかし、我々がいかにテクノロジーや電力に頼りすぎているかということを気づかされました。後2日も電力が復活しなければ、北米地域は大混乱の悪夢に見舞われたことでしょう。今ではできるだけGRIDに頼らないでいきたいと思っています。

Posted by alice at 11:26 | TrackBack
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